宮後八幡社本殿

ページID 1004055  更新日 令和3年3月10日

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  • 所在地 宮後町
  • 所有者等 宮後八幡社
  • 種類 建築物
  • 指定年月日 昭和33年3月29日

写真:宮後八幡社本殿


江南市大字宮後の八幡社は、寛永元年(1624)9月に徳島城主蜂須賀家政が再建したものです。古い棟札に「奉建立八幡宮御本社並釣殿拝殿共ニ大旦那ハチスカノ庵様、寛永元年9月28日」と書いてあります。蜂須賀家政は、幼少の頃父の小六正勝とともに宮後に住んでいました。成長した後、父小六とともに豊臣秀吉の家来として各地を転戦し、秀吉の天下平定のために働き手柄をたてて、四国の徳島24万石の大名になりました。家政は隠居の後、子の至鎭に先立たれ、幼くして大名になった孫の忠英の後見として、再び国の政治に当たりました。漸く老境に達した寛永元年69歳の時、故郷の宮後の地が忘れがたく、八幡社の本殿、釣殿、拝殿を造営寄進しました。
現在、八幡社に残っている本殿は、構造手法から見て、家政の寄進したもので、360余年前の建物です。一間社、流造、桧皮葺の本殿は一間四方の建物で桧の皮で葺いた屋根は、面が流れるようにそった造りです。正面の参拝する上側の菊花の彫刻や側面の梁の切口に付けられた飾り板の彫刻には、桃山時代の余影が残り、尾北における神社建築として見るべきものがあります。

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