武功夜話 8.藤吉郎の仕官

ページID 1004085  更新日 令和2年1月17日

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 藤吉郎は14歳(天文20年 1551)のときに中村(名古屋市)を出て、天文23年まで浜松の頭陀寺城主である松下源太左衛門長則に仕えて兵学を習いました。また、長則は今川義元の兵学の師でもありました。
 「良い鳥は止まるにも枝を選ぶ」ということわざのとおり、藤吉郎は念願の信長へ仕官を計画しました。
 「武功夜話」には、次のように記されています。

 この人(藤吉郎)弘治元年の夏越方の出会いと承るなり。尾州小折村の生駒屋敷、雲球宅(家長)に候。蜂須賀小六殿、雲球屋敷で見知り、不審の儀もこれあり、乱波の類(間諜)にて候わずや、風体は無類の輩の如く小兵なれども武芸あり、兵法の嗜も深く得体知り難し、仕切りに小六の稼ぎ好み候なり。やむなく小六殿宮後屋敷に伴ひ、出入り御用に足し候。彼の者、信長公に奉公の濫觴は久庵様御口添えあるによる所、多大なり。久庵様の前少しも憚らず、色話もしばしば、生来の利口者なれば、久庵様の御機嫌取ること巧みなり。」 

 「武功夜話」に記されているように吉乃の方に見込まれた藤吉郎は、ほかの食客と違って陰ひなたなく働き、目から鼻に抜けるような英知と敏しょうな言動から吉乃の方を動かすところとなり、吉乃の方が信長に「将来必ずお館様の片腕となられるお人でございます。ぜひ部下の一人に加えてやってくだされ」と口添えしたことから仕官を果たし加納馬場十五貫文を賜り、これが天下人になる出発となったのです。

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