武功夜話 6.「吉乃の方」の兄・生駒家長

ページID 1004083  更新日 令和2年1月17日

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 生駒家長は幼名を昌利、通称八右衛門と呼ばれていました。弟と妹が5人あって、その一人を「吉乃」といい、織田信長の夫人になり、信忠、信雄、徳姫(徳川家康の長男、信康夫人)を産んでいます。
 彼は、はじめ犬山城主織田信清に属し、その後信長に仕えています。永禄元年(1558)、信長の尾張国内統一の浮野合戦や文禄3年の桶狭間の戦いで軍功をあげました。続いて永禄4年、信長と斎藤龍興が戦った森部の戦い、翌年の信長の小口攻めと犬山攻め、姉川、小牧・長久手合戦、小田原攻めと数々の戦いに従軍し手柄をたてています。
 永禄3年のころには、信長との親密さを増し、「国中往還認可の書状」を受けました。この書状は

 諸荷物馬壱疋 国中往還之事、於末代、違乱有間敷者也、仍如件
 永禄参申九月 日(花押)
 生駒八右衛門とのへ

 となっており、「馬一匹を使って尾張の国中、諸荷物を自由に運搬し商ってよい。末代までも間違いのないように。」という内容になっています。
 この書状の影響もあって代々の馬借業は繁盛し、大きな勢力を持つに至り、商人としても優れた器量を持っていたことがうかがえます。文武に秀でた家長は、慶長12年(1607)正月7日に天寿を全うし、法名を源庵常本居士と号し、久昌寺、宝頂山墓地に葬られています。

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