武功夜話 11.蜂須賀小六

ページID 1004077  更新日 令和2年1月17日

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写真:蜂須賀小六像


 蜂須賀小六は、美濃と尾張の国境、木曽川の川並衆の頭領として、前野将右衛門などと組み、その後木下藤吉郎(のち豊臣秀吉)と行動をともにしました。
 蜂須賀家は尾張守護代斯波氏とのつながりがあるともいわれ、尾張国衙領である蜂須賀村(海部郡美和町)に住み、下地を預かる尾張の豪族でした。はじめ美濃の斎藤道三に、その後豊臣秀吉に仕えました。
 小六は事情があって母の在所である宮後に住むことが多く、叔父の安井弥兵衛の屋敷がいつのまにか蜂須賀家屋敷と呼ばれるようになってしまいました。そして永禄のはじめ、信長の室吉乃の方の生家、生駒家に藤吉郎とともに寄寓していた時があり、織田信長、木下藤吉郎、小六は互いに知り合いの間柄となり、主従の結び付きが生じました。
 信長の天下統一に向かった桶狭間の戦いでの諜報作戦で大きな力になり、その後藤吉郎とともに墨俣一夜城の築城作戦などで活躍しました。また、信長亡きあとの秀吉の天下とりには必ず小六が存在し、彼の知謀によって敵を壊滅に導いています。
 天正14年(1586)61歳でこの世を去り、大阪天王寺の国音寺に葬られました。法名は福聚殿良巖浄張居士です。

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