武功夜話 4.「武功夜話」の編者は前野家十六代吉田孫四郎

ページID 1004081  更新日 令和2年1月17日

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絵:吉田孫四郎像


 吉田孫四郎雄翟(かつかね)は天正12年(1584)、織田信雄の家臣であった前野家十五代の雄善の長男として生まれました。幼少のころ、清須の総見院に人質として預けられ、恵仙と名乗り、その寺で教えを受け学問を修めました。15歳になった孫四郎は慶長5年(1600)の関ヶ原の戦に、父とともに東軍福島正則のもとで初めて戦いに参加しました。翌々年、父が松平忠吉に仕えていた時、清須城で不祥事をおこしたため、浪人となり前野村に帰ってきました。
 父雄善の後を継いだのが孫四郎で雄翟(かつかね)ともいい、武門を捨てて百姓になり庄屋を務めました。また、キリシタンからの改宗のあかしに前野姓から吉田姓に改めました。
 孫四郎が「武功夜話」の編さんに着手した動機は、祖父雄吉そして父雄善ともに前野家に関わる数々の出来事を記録し、一書にまとめていたことと、文書類を整理中であった父が、慶長10年に先の戦いで受けた槍傷がもとで死去してしまったことによるものです。
 そこで孫四郎は父の意志を継ぎ、武門が途絶えるのを惜しみ、後世に前野氏の由来や祖先の功績などを残すことを決意しました。孫四郎は、仕事のかたわら執筆のための資料整理にとりかかり、寛永11年(1634)から永い年月をかけて、遠くは源平の戦いから織豊期までの数々の出来事を克明に「武功夜話」二十一巻にまとめました。

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