武功夜話 12.蜂須賀家政

ページID 1004078  更新日 令和2年1月17日

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写真:蜂須賀家政像


 蜂須賀家政は、永禄元年(1558)に父小六と母まつとの間に生まれ、母まつの在所は、宮後村八幡社の神官三輪氏でした。
 家政は小さいときに三輪氏の旦那寺である曼陀羅寺山内の梅陽軒(現在の本誓院)へ預けられ、ここで手習いを受けました。本誓院には、家政の位牌や当時の手習い机が保管されています。
 家政は父小六とともに秀吉に仕え各地の戦いに参加しました。天正13年(1585)には、四国征伐に参加し、その軍功により秀吉から阿波一円十七万五千七百石を賜りました。そして翌、天正14年には従五位下阿波守に叙せられました。その後、海を渡って各地に戦いに参加し、抜群の軍功により、ついには阿波の国の太守となり、よく国を治め、阿波藩の基礎を築きました。
 家政は自分の一生を顧み、少年時代に世話になった江南の地が忘れられず、寛永元年(1624)に宮後の八幡社と常蓮寺、曼陀羅寺の塔頭・本誓院を修復寄進しました。八幡社本殿落成の祝賀のために、参勤交代の折に、家臣の稲田、生駒、前野の3人を宮後村へ立ち寄らせました。その後、寛永9年(1632)家政が75歳のとき、曼陀羅寺の正堂を京都御所の紫宸殿の古式にのっとり修復寄進しました。
 家政は、寛永15年(1638)81歳で逝去しました。法名は瑞雲院殿蓬庵仙居士です。

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