豊臣秀吉禁制

ページID 1004059  更新日 令和2年1月17日

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  • 所在地 前飛保町
  • 所有者等 曼陀羅寺
  • 種類 書状
  • 指定年月日 昭和47年2月8日
写真:豊臣秀吉禁制
縦30.2センチ 横45.5センチ

禁制とは、ある行為をさしとめることで、武将が寺院、神社に与えた文書も禁制といいます。天正12年(1584)3月、小牧長久手の戦が起こり、西軍の大将豊臣秀吉は、大坂を出発し尾張へ向かいました。一方東軍側では徳川家康が織田信雄に味方し、尾張へ発進し、曼陀羅寺では戦禍の及ぶ心配が生じました。このとき寺では西軍の秀吉から禁制を受け、西軍側に立ち、寺を守りました。禁制の意味は次の通りです。
— 軍勢は誰と限らず、乱妨を働くこと
— 陣地にとりたてたり、放火をすること
— 寺に対し関係のない者が無理をいうこと
右の三か条は堅くとめる。若し背く者があれば、厳しい罪に処する。右命令する。

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