織田信雄書状

ページID 1004025  更新日 令和2年1月17日

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  • 所在地 前飛保町
  • 所有者等 曼陀羅寺
  • 種類 書状
  • 指定年月日 昭和47年2月8日

写真:織田信雄書状


尾北の名刹、曼陀羅寺に古文書類が多く保存されており、歴史をひもとく重要な手がかりとなっています。なかでも、織田信長がこの地方で勢力を持つようになると曼陀羅寺も深い関係を結び、信長一族の文書等の文化財があります。織田信長の二男信雄は「本能寺の変」の後、尾張の領主になり、天正18年(1590)北条征伐の折、豊臣秀吉に従って小田原に出陣しました。その折、曼陀羅寺より尾張の領主である信雄に枝柿が送り届けられました。その好意に対しての礼状がこの織田信雄書状です。この書状の内容は、
「見舞いの為、使僧並びに枝柿一箱到来誠に遥々懇情歓悦の至りに候、此の表の儀御心易かるべく候、猶開陣の節を期し候謹言 五月二十四日 信雄(花押) 曼陀羅寺」と書いてあります。

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