豊臣秀吉安堵状

ページID 1004058  更新日 令和2年1月17日

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  • 所在地 前飛保町
  • 所有者等 曼陀羅寺
  • 種類 書状
  • 指定年月日 昭和47年2月8日

写真:豊臣秀吉安堵状


小牧、長久手の戦いが起こり、天正12年(1584)3月秀吉は大坂より尾張に兵を進めました。それより先に家康は、信雄に加勢し小牧山を占領していました。当時、曼陀羅寺は秀吉方で戦禍を憂い、楽田の陣屋で次のような安堵状を受けています。
「前飛保地頭領 家他郷、祠堂買徳寄進田地等之事先々の如く、無検地の時に任せる旨、当寺領 相違有る可からず状 件の如し
天正十貳卯月七日
筑前守
秀吉(花押)
曼陀羅寺
役者中」
内容は、社寺の所領を保証し、旧知行地をそのまま賜るという承認の書状です。

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