後奈良天皇綸旨

ページID 1004053  更新日 令和2年1月17日

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  • 所在地 前飛保町
  • 所有者等 曼陀羅寺
  • 種類 書状
  • 指定年月日 昭和47年2月8日
写真:後奈良天皇綸旨
縦31.2センチ 横41.6センチ

曼陀羅寺は、後醍醐天皇の勅願により、元徳元年(1329)、天皇の外叔父にあたる天真乗運上人により建立されました。そのときいただいた勅願寺の綸旨は、明応元年(1492)曼陀羅寺の火災により、焼失したため、住職の香衣着用のことは、しばらく断絶していました。曼陀羅寺では、これを残念に思っていましたが、天文10年(1541)後奈良天皇の御代に、改めて勅願寺香衣着用の綸旨をいただきました。綸旨の意味は次のとおりです。尾張の国の曼陀羅寺は、勅願寺であるべきもので、今日より後は、住職は代々、香衣を着用し、専ら国家の安穏を祈祷すべきであると、天皇はお考えです。よってその旨伝えます。
天文10年3月25日
左少辨(晴秀花押)
顕忠上人御房
なお、左少辨晴秀は、勅命により綸旨を書いたお公家さんであり、顕忠上人は、時の曼陀羅寺第十二世住職です。

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