にょうはち

ページID 1004029  更新日 令和2年1月17日

印刷大きな文字で印刷

  • 所在地 前飛保町
  • 所有者等 曼陀羅寺
  • 種類 工芸
  • 指定年月日 昭和43年12月2日
写真:にょうはち
口径43.3センチ

「にょうはち」は、ふつう「じゃがら」といい、葬儀に用いる楽器です。平な皿型で、中央部が隆起し、その中央に穴をあけ、紐がとりつけてあります。二個で一組になり、撃ち合わせ、摩擦することによって音を出します。銅、錫、鉛の合金でできています。
本品は、大型で重く、中央の隆起は小さく、現今のものとは違っています。曼陀羅寺保存のにょうはちを納めた箱の底に、元亀4年(1573)青山新七郎寄付ありとあります。
青山新七(郎をつけないのが普通)は、戦国時代の人で、村久野の出身で、織田信長に仕えた武将です。新七は、信長の岐阜攻めに先立つ永禄9年、墨俣一夜城構築の時、鉄砲隊を指揮して戦いました。また信長は天下統一を妨げた比叡山を、元亀2年に焼き打ちをしましたが、この時も新七は参戦しました。「にょうはち」はその際に持ち帰ったもので、のち曼陀羅寺へ寄付しました。中国伝来のものといわれます。新七は、天正3年の長篠の戦にも信長側として参戦し、天正12年の小牧長久手の戦にも東軍側として戦っています。なお新七の長男の系統は奥州二本松り丹羽氏に仕え、次男の系統は村久野に残り、のち帰農しました。

このページに関するお問い合わせ

教育部 生涯学習課
〒483-8701 愛知県江南市赤童子町大堀90
電話:0587-54-1111 ファクス:0587-56-5517
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。