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ふるさと江南歴史散策道

観光・歴史

 

信長・生駒(吉乃)コース

H.久昌寺−「吉乃の方」が眠る生駒家の菩提寺・久昌寺−

久庵桂昌大禅定尼墓碑久昌寺公園 久昌寺の前身は、至徳元年(1384)この地の土豪林朝忠により禅喜寺を早創、その後、嘉慶元年(1387)寺号を慈雲山龍徳寺に改めています。応仁のころ、大和から移住した生駒家初代家広が先祖の冥福を祈るため、寺を再営し菩提所としました。
 生駒家四代家長の妹「お類」は織田信長の目に止まり「吉乃の方」として迎えられます。後の織田信忠、信雄、五徳を産みますが、産後の肥立ちが悪く、永禄九年(1566)5月13日、29歳の若さで新築となった小牧城でこの世を去ってしまいます。
 この年「久庵桂昌大禅定尼」の法名でこの寺にまつり、寺名を尾張名所図会に「其の居地に嫩の桂二株ありて、久しく昌えしゆえ、かく法号とせしとぞ」と書かれているように嫩桂山久昌寺と改め、660石乃知行を得た信雄は寺域を整備し、菩提を弔ってきました。このころの久昌寺は般若寺をはじめ十か寺の塔頭と末寺など五か寺を加え壮大な寺域でした。
 境内の西側に生駒家の墓地があり、ここに「吉乃の方」の墓碑があります。そして、この碑には「織田信長公室 生駒蔵人家宗女、当寺中興開基久庵桂昌大禅定尼 永禄九丙寅年五月十三日」裏には、「中将織田信忠卿、内大臣信雄公、徳川信康妻見星院 右三子母室也。小牧城内違居、丹羽郡小折村菩提禅刹贈葬」と刻まれています。また、この墓地はこの地方では見られない立派な墓碑が林立しています。大きな墓碑は尾張藩の重臣になってからの六代利勝以後のものが多いようです。
 現在は、前庭を久昌寺公園として整備され、市内の歴史探索や憩いの場となっています。

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